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2015年12月30日 (水)

黄絹

さあ、ここで問題です。


本日のタイトルの意味は何でしょうか。


小学生のとき、『世説新語』にハマっていた。
三国志好き、世説新語好きなら思い出すはず。

(ヒントは楊修)



今年も残るところ数日で、ショックな出来事がありました。
人って永遠にあるものだといるものだと思っているものや存在に対して、
本当にその価値を確認できるのってそれが永遠じゃないと知ったときなのではないだろうか。



例えば学校、仕事、
これが義務や永遠に続く絶対になくならないものだと思っているから
行きたくない、辞めたいとなるのではないだろうか。


そして命。
これも意識しているか否かは個人によるけれど、
しばらく生きていけるという健康に絶対的な自信がある人こそ
死にたい、と願うものなのではないだろうか。

健康に自信がなくても、自分の命は明日も絶対にあると信じているからこそ願える願いなのではないだろうか。


ふと、思った。



絶対も、永遠も
実はない。
それが絶対であり、永遠であるかだなんて誰にもわからない。



では、縁あって今勉強できる私の環境は?
これも永遠ではない。



限りあるからこそ、今、与えられた環境で全力を尽くすしかない。


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